3. 小説に見る表記
3-1. 調査の概要
実際に,漢字表記,平仮名表記,片仮名表記が,どのように使い分けられているのかを調べるため,一般に市販されている小説の表記について調査した。ここで取り上げた作品は,できるだけ最近の,ある程度多くの読者がいると思われる作品の中から,筆者が無作為に抽出したものである。調査したのは,1994年から2003年に刊行された,以下に挙げる長編調節十編,短編小説十五編の,合計二十五編である。
<長編小説>
乃南アサ『家族趣味』(1997年 新潮文庫:新潮社)
樹川さとみ『楽園の魔女たち~月と太陽のパラソル~(後編)』(2002年 コバルト文庫 :集英社)
樹川さとみ『時の竜と水の指輪(前編)』(1994年 コバルト文庫:集英社)
時雨沢恵一『キノの旅Ⅶ』(2003年 電撃文庫:角川書店)
甲田学人『Missing 神隠しの物語』(2001年 電撃文庫:角川書店)
恩田陸『木曜組曲』(2002年 徳間文庫:徳間書店)
蒔田光治『TRICK 劇場版』(2003年 角川文庫:角川書店)
黒岩重吾『ワカタケル大王』(2003年 文春文庫:文藝春秋)
愛菜『天使の砂時計』(2003年 講談社X文庫(TEEN'S HEART):講談社)
井上真『鋼の錬金術師 砂礫の大地』(2003年 COMIC NOVELS:スクウェア エニッ クス)
<短編小説>
阿刀田高「迷路」
宮部みゆき「布団部屋」
高橋克彦「母の死んだ家」
乃南アサ「夕がすみ」
鈴木光司「空に浮かぶ棺」
夢枕獏「安義橋の鬼,人を噉らふ語」
小池真理子「康平の背中」
以上,『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
唯川恵「消息」
山本文緒「これが私の生きる道」
角田光代「エンジェル」
桜井亜美「I'm Proud」
横森理香「ダイナマイト」
狗飼恭子「やさしい気持ち」
江國香織「Cowgirl Blues」
小池真理子「STORM」
以上,『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
上記の小説を,対象年齢層で分けると,以下のとおりになる。
10代~20代向け
樹川さとみ『時の竜と水の指輪(前編)』(1994年 コバルト文庫:集英社)
樹川さとみ『楽園の魔女たち~月と太陽のパラソル~(後編)』(2002年 コバルト文庫 :集英社)
愛菜『天使の砂時計』(2003年 講談社X文庫(TEEN'S HEART):講談社)
井上真『鋼の錬金術師 砂礫の大地』(2003年 COMIC NOVELS:スクウェア エニッ クス)
主に10代後半~20代以上向け
時雨沢恵一『キノの旅Ⅶ』(2003年 電撃文庫:角川書店)
甲田学人『Missing 神隠しの物語』(2001年 電撃文庫:角川書店)
蒔田光治『TRICK 劇場版』(2003年 角川文庫:角川書店)
唯川恵「消息」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
山本文緒「これが私の生きる道」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
角田光代「エンジェル」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
桜井亜美「I'm Proud」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
横森理香「ダイナマイト」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
狗飼恭子「やさしい気持ち」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
江國香織「Cowgirl Blues」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
小池真理子「STORM」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
主に20代以上向け
乃南アサ『家族趣味』(1997年 新潮文庫:新潮社)
恩田陸『木曜組曲』(2002年 徳間文庫:徳間書店)
黒岩重吾『ワカタケル大王』(2003年 文春文庫:文藝春秋)
阿刀田高「迷路」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
宮部みゆき「布団部屋」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
高橋克彦「母の死んだ家」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
乃南アサ「夕がすみ」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
鈴木光司「空に浮かぶ棺」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
夢枕獏「安義橋の鬼,人を噉らふ語」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収 録
小池真理子「康平の背中」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
上記の分類は,あくまで目安としてのものであり,どの作品も年齢制限があるわけではないので,幅広い年齢層に読者がいると予想される。筆者が読んだ印象として,対象とされているであろう年齢層,主に読んでいるであろう年齢層を予想したものである。
これらの作品の,主に片仮名表記に注目して,どのような表記がされているのか,どのような効果を狙っているのか等を考察していく。
3-2. 分析とまとめ
市販の小説を調査し,中山(1998)が分類した片仮名表記語(「4.先行研究 2-2.最近の研究」参照)のうち,「13 その他」に該当する語を抜き出した。以下,3-2において,「片仮名表記語」は特に「13 その他」に分類されたものを示すものとする。他に,特に気になった平仮名表記,漢字表記も抜き出した。片仮名表記語の有無を基準に,以下に分類する。
<片仮名表記語のないもの>
黒岩重吾『ワカタケル大王』(2003年 文春文庫:文藝春秋)
阿刀田高「迷路」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
宮部みゆき「布団部屋」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
高橋克彦「母の死んだ家」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
鈴木光司「空に浮かぶ棺」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
夢枕獏「安義橋の鬼,人を噉らふ語」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
小池真理子「康平の背中」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
角田光代「エンジェル」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
狗飼恭子「やさしい気持ち」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
江國香織「Cowgirl Blues」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
小池真理子「STORM」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
<片仮名表記語のあるもの>
樹川さとみ『時の竜と水の指輪(前編)』(1994年 コバルト文庫:集英社)
樹川さとみ『楽園の魔女たち~月と太陽のパラソル~(後編)』(2002年 コバルト文庫:集英社)
愛菜『天使の砂時計』(2003年 講談社X文庫(TEEN'S HEART):講談社)
井上真『鋼の錬金術師 砂礫の大地』(2003年 COMIC NOVELS:スクウェア エニックス)
時雨沢恵一『キノの旅Ⅶ』(2003年 電撃文庫:角川書店)
甲田学人『Missing 神隠しの物語』(2001年 電撃文庫:角川書店)
蒔田光治『TRICK 劇場版』(2003年 角川文庫:角川書店)
唯川恵「消息」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
山本文緒「これが私の生きる道」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
桜井亜美「I'm Proud」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
横森理香「ダイナマイト」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
乃南アサ『家族趣味』(1997年 新潮文庫:新潮社)
乃南アサ「夕がすみ」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
恩田陸『木曜組曲』(2002年 徳間文庫:徳間書店)
以下に,片仮名表記語のある作品それぞれについて,どのような片仮名表記語が見られるのかを記し,簡単な分析を加えておく。以下の分析において,数字は参照ページを示す。数字のないものについては,全体を通して片仮名表記になっているものである。
樹川さとみ『時の竜と水の指輪(前編)』(1994年 コバルト文庫:集英社)
→10代~20代向け,三人称小説
<片仮名表記>
地の文:特になし
会話文:「オヤジ」「コワイ」「バカ」「スゴイ」「ヘン」
「イタンシャ,ジャキョウ」60
*発話者がよく意味が分からずに使っている例
「なにかとてもスゴイこと」 103
「バチが当たるよ!」 軽く諫める調子 105
「あたしもトシなのかねえ」 106
「生きるためには,モノを食う」 157
異世界ファンタジー小説であり,柔らかいタッチで描かれている作品である。平仮名が多く,普通漢字で表記するだろうと思われる語も平仮名表記されている。例えば,とき,ひと,ひとり,こども,なに,ようす,ほんとう,こまる,うごく,ひらく,すくない,つめたい,うつくしい,いそがしい……等々。多用される平仮名表記が,作品の柔らかい,優しい雰囲気を表している。また,「バチが当たるよ!」と,軽く諫める調子では片仮名表記になっているが,「罰が当たったのだ」と後悔する場面では,漢字表記になっている。台詞のニュアンスによって,使い分けていることが分かる。
井上真『鋼の錬金術師 砂礫の大地』(2003年 COMIC NOVELS:スクウェア エニックス)
→10代~20代向け,三人称小説
地の文:特になし
会話文:「ダメ」「カッコいい」「ヤダ」
「おススメできない」 17
「ヘタしたら」 49
「『石』に限りなく近い『モノ』だと言った方がいいかな」 115
少年の錬金術師を主人公にしたファンタジー小説。片仮名表記はあまり多くないが,特別な意味を加味する場合は「モノ」と片仮名表記にするなど,表記上の工夫が見られる。コミカルさと,重々しさとが同居するストーリー展開であり,この片仮名表記の量は適当であるように感じられた。片仮名表記が少し登場することで,登場人物の明るさが表現されているように思う。これが,あまり大きすぎると,全体に流れる重い雰囲気を損なってしまう恐れがある。
時雨沢恵一『キノの旅Ⅶ』(2003年 電撃文庫:角川書店)
→主に10代後半~20代以上向け,三人称小説
地の文:「イス」「ドロボウ」
会話文:「ダメ」「ヒマ」
「ま,放浪人ってヤツですよ」 121
「ホント料理が好きですね」 166
異世界を舞台に,主人公が色々な国を旅する物語。登場人物は前向きで,明るくもあるが,どちらかというと重い調子の物語である。全体の雰囲気から考えても,あまり片仮名表記が多くても不自然になるだろう。主に台詞に片仮名表記が見られるが,全体としてそれほど多くない。会話文中の片仮名表記が,会話文独特の,軽い調子のニュアンスをうまく表現している。
甲田学人『Missing 神隠しの物語』(2001年 電撃文庫:角川書店)
→主に10代後半~20代以上向け,三人称小説
地の文:「記憶の中で,神野が嗤った」 155
「少女の姿をした幽霊と思しきモノ」 161
「異なったモノ」 202
会話文:「ホント」
「~クン」 少女が少年に対して使用。
「朝イチで」
「知らぬ間に人を異界へと引き込む存在」 146
(他にも,何か特殊な存在のことを「モノ」と表記した例はいくつかある)
少年少女の周りに起きた現代の神隠しの物語である。詩的で,堅苦しい文体で描かれている。難しい言葉を多用し,漢字表記も多く用いられており(懐疑,瀟洒,所為,傾ぐ,蠢く,瞠る……等々),重い雰囲気を演出している感がある。また,片仮名表記も効果的に用いている。言葉,表記に気を配り,雰囲気作りをしている作品である。
蒔田光治『TRICK 劇場版』(2003年 角川文庫:角川書店)
→主に10代後半~20代以上向け,三人称小説
地の文:「タネ」(手品の仕掛け)「カツラ」「メンツ」
「シラをきる」 81
「ホント」 *学者の書いたレポートの題名「呪術の嘘,ホント」。この場合,どこか胡散臭いレポートとしての扱いをうけているので,「ホント」だけを片仮名表記にすることによって生まれた,ちぐはぐでおかしい印象が,うまくマッチしている。
会話文:「バカ」「ガンバレ」
「オマエ」(発話する人物によっては「お前」となる)
「イトフシムラ」 *読み方を強調している。その後,村の語源について解説。以降,漢字表記で登場。 15
「シナヌジ」 *同じく,読み方を強調。死なぬ路。 49
「カミ」 *髪と神を掛けている。81
コミカルなタッチで描かれており,言葉のトリック,言葉遊びが多い。従って,掛詞にするための片仮名表記などが見られる。これは,漢字にしてしまっては意味が一つに限られてしまうし,平仮名にしてしまっては周囲の表記に埋没してしまうためだろう。発話者によって,片仮名表記にする,しないを分けていたり,とぼけた雰囲気を表すための片仮名表記など,工夫が見られる。
唯川恵「消息」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
→主に10代後半~20代以上向け,三人称小説
地の文:「バカ騒ぎ」 9
「グラスをカラにした」 10
会話文:「このレストランは~がウリなんだそうだ」 30
恋愛小説。片仮名表記はほとんど見られない。難しい漢字もあまり使われていない。
山本文緒「これが私の生きる道」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
→主に10代後半~20代以上向け,一人称小説(既婚男性)
地の文:「バカ息子」 51
妻が入院し,その曰く付きの妹が家事をしにやってくるというストーリー。一人称小説だが,片仮名表記はほとんどない。
桜井亜美「I'm Proud」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
→主に10代後半~20代以上向け,一人称小説(女子高校生)
地の文:「マンガ」「ヒマ」「ガキ」「イヤ」「ムリ」
「ケイベツや嫌悪」 100
「ウソっぽくしらじらしく思えた」 102
「イラだっている」 103
会話文:「ヘタに捨てると,後で面倒な問題が起こったりするんだ」 113
世間からはみ出してしまった若者たちを描いた物語。全体的に片仮名が多く(人物名も片仮名表記されている),片仮名用語も多用されている。例えば,ゴージャス,ジャンキー,チーマー,ポーズ,ラッキー,フィギュア,クラブ,ナルシスティック等々。女子高生を語り手とした一人称小説であるためか,地の文に片仮名表記が多く見られる。そうすることで,若者主体の,今どきの物語という雰囲気がよく出ている。
また,地の文で,嫌,駄目,と漢字表記されているところもあり,ニュアンスの違いで使い分けていることがわかる。漢字表記されているのは,主人公が思い悩む,やや重い雰囲気の場面である。対して,「イヤ」という片仮名表記は,「イヤなタカビーばかりの高校(110)」という表現のなかの表記であり,「嫌な」「いやな」とするよりも,嫌悪する意味合いが強く出ているように感じる。「ケイベツや嫌悪」というのは,片仮名表記にすることで女子高生が使うには難しい言葉であるというニュアンスを出したかったのだろう。「軽蔑や嫌悪」では堅苦しいものになってしまうし,少女の今どきの若者としての姿が見えづらくなってしまう。片方だけ片仮名というのはおもしろい表現だが,「嫌悪」を「ケンオ」としてしまっては意味が通じづらくなってしまうので,片仮名表記にしても意味の通じる「ケイベツ」だけ片仮名表記にしたのではないだろうか。
横森理香「ダイナマイト」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録
→主に10代後半~20代以上向け,一人称小説(男性・若者)
地の文:「オヤジのイヤラシイ会話」 132
会話文:「ハタチ」「ヘン」
「ホント,付き合いわりぃよなー」 138
「それよりお祓いってカンジじゃないの?」 138
男女の出会いと別れを描いた恋愛小説。若者の会話のなかに,片仮名表記が登場するものの,全体としてそれほど多くはない。「イヤラシイ」と片仮名表記になっていることで,「嫌らしい」「いやらしい」とするよりも,下品な,またそれを快く思わないニュアンスが表現されている。
乃南アサ『家族趣味』(1997年 新潮文庫:新潮社)
→主に20代以上向け,三人称小説
地の文:「コタツ」
「私立の高校を受験するとなると,独特のワザが必要なのだということも分かっ てきた」 *コツ,のような意味で使用。167
会話文:「ヤツ」 人物を指すとき。
「ヘン」
家族を題材にした物語。台詞に片仮名表記が少し登場するが,全体を通して片仮名表記は少ない。「コタツ」は,「炬燵」は難しすぎるが,「こたつ」では地の文に埋没してわかりにくいため,片仮名表記にしたのだろうか。作者のこだわり,好み,ということも考えられる。「ワザ」は,片仮名表記にすることで,目立たせ,特別な意味を加味することに成功している。
乃南アサ「夕がすみ」『七つの怖い扉』(2002年 新潮文庫:新潮社)収録
→主に20代以上向け,三人称小説
地の文:特になし
会話文:「ヤツ」 人物を指すとき。
片仮名表記はほとんど見られない。同作者の作品である上記の『家族趣味』でも,人物を指す際は「ヤツ」と片仮名表記になっているので,これはこの作者の魅せ方なのだろう。他と使い分けるために片仮名表記にしているというものではない。
恩田陸『木曜組曲』(2002年 徳間文庫:徳間書店)
→主に20代以上向け,三人称小説
地の文,会話文:「フジシロチヒロ」(人物名)
会話文:「キモチワルイ」 115
「ダンナ」 117
「最初からモノが違う」 *「モノ」は「才能」と同じような意味で使用 152
「カン」(勘) 195
推理小説。特別な片仮名表記は少ない。上記の台詞はすべて女性が女友達に対して発したもの。「ダンナ」は,妻が,女友達に夫のことを話すときのもので,片仮名にすることで親しみが感じられる。フジシロチヒロというのは,物語のなかでキーとなる人物名で,名前だけ何度も登場する。片仮名表記にすることで,強烈に印象づけることに成功している。
以下の二つの作品は,特に片仮名表記の多く見られたものである。
樹川さとみ『楽園の魔女たち~月と太陽のパラソル~(後編)』(2002年 コバルト文庫 :集英社)
→10代~20代向け,三人称小説
地の文・会話文:「ケンカ」「バカ」「アタマ」「ホント」「ダレ」「ナニ」「イヤ」「アホ」「ハデ」「ステキ」「イケニエ」「エサ」「ラク」「ヒト」「イヤミ」「ムリ」「コト」「ヤツ」「カオ」「カン」……等々
地の文:「ウソからでたマコト」 8
会話文:「あなたがたのコトワザ好きは存じております」 96
「えいえんが?」 *言葉は分かるが,どういう意味で言われたのか分からず,鸚鵡返しに聞き返している。 40
ファンタジー小説で,非常にコミカルな,テンポの良い作品。片仮名を多用することで,軽さを演出している。三人称小説だが,地の文にも片仮名が多い。「あなたがたのコトワザ好きは存じております」では,「コトワザ」と片仮名表記にすることで,嫌味を含んだ言い方を表している。また,「えいえんが?」は,平仮名表記にすることで,意味の分からない幼いこどものような雰囲気を表している(発話者は十代後半の女性)。
愛菜『天使の砂時計』(2003年 講談社X文庫(TEEN'S HEART):講談社)
→10代~20代向け,一人称小説(女子高校生)
地の文・会話文:「トツゼン」「トモダチ」「ハハオヤ」「チチオヤ」「モンダイ」「カンケー」「フツー」「マトモ」「トキ」「サイアク」「ケッコン」「レンアイ」「ワケ」「オトコ」「オンナ」「ヒトサマ」「メーワク」「カノジョ」「ジャマ」「フクザツ」「コロボソサ」「アタマ」「デンワ」「チカラコブ」「ワカラン」「ケーサツ」「ヨケー」「ブザマ」「ヒトコト」「イノ チ」「ノンキ」「ボーゼン」「テキトー」「マブタ」「ラクショー」「アイしてた」「コゲる」「ボヤく」「ナメてかかる」「ハズシた」「コワい」「ナサケない」「ネバる」……等々
少女向け恋愛小説で,テンポの速い作品。片仮名表記をすべて抜き出すと膨大な量になるので,一部紹介した。漢字よりも片仮名の方が多いように思ってしまうほどである。若者の視点で描かれ,若者同士の会話がそのまま物語になったような印象を受ける。ここまで片仮名表記が多くなると,読みづらいものがあるが,対象である十代少女にはこれが読みやすいのだろうか。想像を超えたあらゆる語が片仮名表記になっている。特に,「ココロボソサ」などには驚かされる。片仮名表記にすることで,若者言葉を表しているが,それ以外には特に他と違うニュアンスを加味するという狙いはほとんどない。
特別にこの作品が片仮名表記が多いというわけではなく,TEEN'S HEARTシリーズにはこういったものも多い。
以上は,主に片仮名表記を中心に抜き出した。対照的に,『ワカタケル大王』著:黒岩重吾(2003年 文春文庫:文藝春秋)(三人称,歴史小説)では,片仮名表記はまったく見られないが,漢字表記が非常に多く見られる。以下に,一部紹介する。
鼾(いびき),不寝番(ねずのばん),何時(いつ),訊く(きく),髭(ひげ),寧ろ(むしろ),筈(はず),何れ(いずれ),視る(みる),瞠る(みはる),漸く(ようやく),殆ど(ほとんど),積り(つもり/~するつもり,の用法),暫く(しばらく)……等々
これは,百済,新羅,高句麗を舞台とした歴史小説であり,全体として堅苦しい語り口である。台詞回しも重々しく,軽い雰囲気は全くない。普段は使わない,振り仮名を振らなければ読めないような漢字を多用することで,時代感と,重さを表現している。
また,江國香織「Cowgirl Blues」『Love Songs』(1999年 幻冬舎文庫:幻冬舎)収録(主に10代後半~20代以上向け,一人称(女性・若者),恋愛小説)では,「みつひこ」と,女性が平仮名で別れた恋人の名を呟くシーンがある。普段は「光彦」と漢字表記されているのだが,主人公が泣きながら名前をつぶやいたこのときだけ,平仮名表記になっている。「光彦」や「ミツヒコ」とするよりも,主人公の悲しい気持ちが表れている。拠り所を失った,頼りない雰囲気が表現されるのである。
以上,それぞれの小説について表記の工夫を見てきたが,総じていえることは,表記も大切な表現方法の一つであるということである。例えば,『天使の砂時計』での片仮名表記を漢字表記にしてしまっては,まったく別の作品のようになってしまうし,『ワカタケルの大王』での漢字表記をなくしてしまっては,時代小説特有のニュアンスは表現できなくなってしまうだろう。それ以外のどの作品も,決して,ただなんとなく片仮名表記にしていたり,平仮名表記にしているわけではない。その表記法でしか表現できないものを表現しているのだと,一つ一つ分析しながら深く感じた。小説家は実に偉大である。
主に片仮名表記について見てきたが,全体として,地の文よりも会話文に片仮名表記が多く見られる。会話文の方が,表記によってニュアンスの違いを表すのに適しているのだろう。また,動詞や形容詞よりも,名詞が片仮名表記になっている例が多い。特に多く見られたのは,「バカ」「ヘン」「ホント」「ダメ」などである。特別な意味を表す用法もあるが,軽いニュアンスを表現するための片仮名表記が多く見られた。
以上,小説の表記法の分析から,それぞれの表記についてまとめると,小説の表記に見る片仮名表記の役割は,①若者言葉のニュアンスを表す ②軽い,コミカルなニュアンスを表す ③読みを特に強調する ④他と区別し,特別な意味を加味するの,主に4つだと考えられる。平仮名表記の役割は,①やわらかいニュアンスを表す ②幼いニュアンスを表す の主に2つだろうか。平仮名表記にすることで,やわらく,あたたかい雰囲気が作品に流れるように感じる。これは,漢字にも,片仮名にもできない役割である。漢字表記の役割は,堅苦しく,重々しいニュアンスを表すことだろう。難しい漢字になればなるほど,その効果は大きくなる。また,時代の古さも表すようである。
また,表記の使い分けは,作者によって変わる部分ももちろんあるが,それだけではない。例えば,『時の竜と水の指輪(前編)』と,『楽園の魔女たち~月と太陽のパラソル~(後編)』は,二作品とも同作者(樹川さとみ)の著書だが,使用される片仮名表記の量は大きく異なる。作品の雰囲気によって,表記も使い分けているのである。